活字を追うのに大変になったなと遅まきながらおもう遠視の自身。

この頃若い頃のように公式を読まなくなったように思います。深夜まで多くの公式を読み漁っていたものです。以前は鉄道などの取り分けしばしば読んでいました。それが定例でもありました。読まなくなったのは心の差だろうかと思ったのですが、なかなか違うように思いました。活字がスムーズに入って来ないのは遠視のせいだと考えるほうが順当だ。眼鏡を使うのがいざこざで、一気によむのをやめてしまうのが今の俺だ。遠視の機能も知っていたのですが、自分に当てはめることはしないのです。いつまでも若いと思い込んでいるのが有様だ。PCにかじりつくことは苦にならないのに、図書に向き合えない近年だ。好んで読んでいた短編本の気力や、詩の公明正大な風味など、図書からの気力から長いポイント離れていたようで、それとなく苦しい気分になるのも本当です。ジェネレーションを自覚し、差を受け入れて眼鏡を使おうというこの頃だ。そうでないといった失うものがありそうな気がしてしまう。